▶チェロの【旧約聖書】を蘇らせた巨匠:カザルスとバッハ無伴奏チェロ組曲の奇跡

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チェロの【旧約聖書】を蘇らせた巨匠:カザルスとバッハ無伴奏チェロ組曲の奇跡

今回は、20世紀最大のチェリストと称され、「チェロの神様」として今なお愛され続ける巨匠、パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)の生涯と、

彼が世に再発見したとされるJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」への特別な想いについて、熱く語ってみたいと思います。

 

伝説の始まり:カザルスの波乱に満ちた生涯

パブロ・カザルスは1876年、スペイン・カタルーニャ地方のエル・ヴェンドレイに生まれました。

父は教会のオルガニストで、幼い頃からピアノ、ヴァイオリン、オルガンなど、様々な楽器に触れる音楽的な環境で育ちました。

11歳の時にチェロに出会い、その才能はすぐに開花。

バルセロナ、マドリード、そしてパリへと音楽の研鑽を積む旅に出ます。

近代奏法の確立

カザルスは、それまでのチェロ奏法を根本から変革しました。

当時主流だった硬直した弓の持ち方や、ヴィブラートをあまりかけない演奏スタイルに対し、

彼はより自由で歌うようなヴィブラートを取り入れ、楽器の持つ表現力を飛躍的に高めました。

これは、彼の演奏が「語りかけるような」「歌う」と評される所以です。

世界的な活躍

1899年のパリデビューを皮切りに、彼は瞬く間に世界的な名声を得ます。

特にピアニストのアルフレッド・コルトー、ヴァイオリニストのジャック・ティボーと結成した「カザルス三重奏団」は、史上最高のトリオの一つとして知られています。

平和への献身と沈黙

カザルスは、単なる演奏家にとどまらず、強い信念を持つ平和活動家でもありました。

スペイン内戦後のフランコ独裁政権への抗議として、そして世界の政治状況に対する失望から、

1940年代後半から1950年代にかけて、公の場での演奏活動を停止するという苦渋の決断を下しました。

彼は「真の平和が訪れるまで演奏しない」という信念を貫き、音楽家としてのキャリアよりも、

人間としての尊厳と平和への願いを優先したのです。

晩年の活動

1950年にフランスのプラドで、バッハ没後200年を記念した音楽祭(プラド音楽祭)を立ち上げ、徐々に公の場に戻ります。

晩年はプエルトリコに移住し、97歳で亡くなる直前まで、教育や指揮、そして平和へのメッセージを込めた演奏活動を続けました。

彼の平和への象徴的な作品といえば、国連本部で演奏された「鳥の歌」(カタルーニャ民謡)が有名です。

 

奇跡の再発見:バッハ「無伴奏チェロ組曲」との出会い

カザルスの功績の中で、最も偉大とされるのが、

J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」の真価を世に知らしめたことです。
この曲が「チェロの旧約聖書」と呼ばれるようになったのも、彼のおかげと言って間違いありません。

 

楽譜との運命的な出会い

カザルスがわずか13歳の時、1890年にバルセロナの古書店で、彼は古ぼけた楽譜を発見します。

それが、当時ほとんど忘れられ、単なる練習曲程度にしか思われていなかったバッハの「無伴奏チェロ組曲」(全6曲)でした。

「その楽譜のページをめくると、一瞬にして音楽の魔法が激しく、そして優しく彼を包み込んでいった。」

— 音楽ライター 森光三朗氏

 

彼はこの組曲の楽譜を手に取った瞬間、そこに秘められた多旋律的な構造、深い精神性、そして宇宙的な広がりを感じ取ったと言います。

彼の言葉によると、この曲は「チェロという孤独な楽器のための、バッハの最も個人的で内省的な告白」でした。 

 

30年間の内省と研究

カザルスは、この組曲の真の価値を理解し、その完璧な演奏法を確立するために、その後30年間もの長い歳月を費やしました。

彼は、組曲が本来持っている舞曲的性格を深く研究し、

それまでの演奏慣習にとらわれない、躍動的で語りかけるような解釈を生み出しました。

初めての公開演奏

楽譜発見から14年後の1904年、カザルスは初めてこの組曲を公開演奏します。

そして、彼が世界中のチェリストの聖典となる全曲録音を完成させたのは、

さらに後の1936年から1939年にかけて、彼が60代になってからのことでした。

演奏様式への影響

カザルスの演奏は、ロマンティックな要素を持ちながらも、楽曲の構造を深く掘り下げた厳格さを併せ持っています。

テンポは時に速く、「歌う」というよりも「語りかける」ような表現は、

バッハの音楽の奥底に横たわる人間的な感情と、求道者的な精神性を描き出しました。

 

永遠に未完成な聖典の響き

カザルスのバッハ演奏は、現代の「古楽」や「オリジナル楽器」による演奏が主流となった今でも、その輝きを失っていません。

それは、技術的な完璧さだけでなく、彼の人間性、平和への願い、そして音楽への純粋な愛が深く刻み込まれているからです。

彼は生涯を通して、組曲の解釈は「つねに変遷していく」と考えていたため、自ら決定版の楽譜を編纂することはありませんでした。

その代わり、彼の考え方を楽譜と文章で記述した研究書が、

今なお多くのチェリストにとっての道しるべとなっています。

カザルスが遺した録音は、スペイン内戦から第二次世界大戦へと向かう緊迫した時代に録音されました。

その低音の豊かさ、実在感のある音色は、当時の録音技術の限界を超えて、聴く者に深い感動と、時を超えた対話を与え続けています。

 

最新の反響とレガシー

カザルスのレガシーは、彼が創設に貢献したパブロ・カザルス国際賞(チェロ部門)を通じて、今も若い世代に受け継がれています。

最近では、2024年に日本の若手チェリスト北村陽氏がこの権威ある賞の第1位を受賞するなど、

カザルスの音楽と平和を愛する精神は、次の時代へと受け継がれています。

カザルスは、バッハの組曲を通して、音楽が持つ「永遠の未完成」の美しさと、尽きることのない探求の喜びを私たちに教えてくれました。

彼の演奏を聴くことは、

単に美しい音楽に触れるだけでなく、一人の偉大な人間、そして平和を希求した魂との出会い

なのです。

ぜひ皆さんも、カザルスの残した不朽の名盤を通して、彼の魂の叫びと、バッハの宇宙的な深遠さを感じてみてください。

 

最後に

カザルスが1973年に亡くなってから半世紀が過ぎましたが、彼の音楽と、平和へのメッセージは、ますます重要性を増しているように感じます。

彼が残した「無伴奏チェロ組曲」の解釈は、これからも世界中のチェリストにとって、

そして聴衆にとって、尽きることのないインスピレーションの源であり続けるでしょう。

私も大学生の晩年は、バッハばかり弾いてました。

サン・サーンス「白鳥」のような美しい曲ではなく、何故かバッハが弾きたいのです。

チェリストにとってバッハは、「真に心が求める曲」なんですね。

弾けそうなんだけと、上手く弾けないのです。

以上、ご参考になれば幸いです。

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