▶映画「マイケル」を観た感想は?

音楽の力
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映画「マイケル」を観た感想は?

映画『Michael(マイケル)』がついに公開されましたね。

マイケル・ジャクソンのファンはもちろん、リアルタイムの熱狂を知らない世代の間でも大きな話題を呼んでいます。

今回は、劇場に足を運んでこの超大作を体感してきた興奮冷めやらぬまま、最新の視点から具体的な感想をたっぷりとお届けします。

結論から言うと、この映画は単なる「お決まりの伝記映画」の枠を完全に超えた、圧倒的な音楽体験であり、

同時に一人のあまりにも純粋で孤独な天才の「光と影」を巡る、非常に濃密な人間ドラマでした。

これから観に行こうか迷っている方や、すでに観て誰かと感想を共有したい方の参考になれば嬉しいです。

 

劇場がライブ会場に変わる!音楽とダンスの圧倒的な再現度

まず何よりも叫びたいのは、パフォーマンスシーンのクオリティの高さです。

映画が始まってから終わるまで、私たちのDNAに刻まれているようなお馴染みの名曲たちが次々とスクリーンに鳴り響きます。

イントロが流れた瞬間に鳥肌が立ち、劇場にいながら自然と足がリズムを刻んでしまう、あの独特の感覚。

音響へのこだわりが凄まじく、前奏への入り方や、

私たちが擦り切れるほど見た伝説のミュージックビデオ(MV)の映像と劇中のパフォーマンスが脳内で完全にシンクロする瞬間は、言葉にできないほどの衝撃でした。

音響設備が良いIMAXやドルビーアトモスなどの環境で観ると、文字通り「ライブビューイング」に参加しているような没入感を味わえます。

特に中盤から終盤にかけてのステージシーンは圧巻の一言。

衣装の煌めきから指先のわずかなニュアンス、そしてあの唯一無二のシルエットまで、ステージ上の「キング・オブ・ポップ」がそこに完全に蘇っていました。

ただ過去の映像をメカニカルにトレースしただけではなく、マイケルがエンターテインメントに込めた命のきらめきのようなエネルギーが、スクリーン越しにドカンと伝わってくるのです。

音楽を浴びるためだけに、何度も劇場にリピートしたくなる人の気持ちが本当によく分かります。

 

主演ジャファー・ジャクソンという「奇跡」

この映画を語る上で絶対に外せないのが、主演を務めたジャファー・ジャクソンです。彼はマイケルの実の甥(兄 Jermaine Jackson の息子)にあたります。

血縁関係があるとはいえ、「あのマイケル・ジャクソンを演じる」という、世界で最もハードルの高い挑戦を見事に成し遂げていました。

スクリーンに映し出される彼の姿は、話し方、はにかんだような仕草、声のトーン、そして言うまでもなく爆発的なダンスのキレに至るまで、どこをどう見てもマイケルそのもの。

もはや「モノマネ」や「演技」というレベルではなく、叔父であるマイケルの魂を自分自身の身体に宿らせたかのような、スピリチュアルな凄みすら感じさせました。

特に印象的だったのは、激しいパフォーマンスの合間に見せる、彼の「静けさ」や「柔らかさ」です。

優しく、どこか傷つきやすい繊細な雰囲気が、ジャファーの瞳から痛いほど伝わってきます。

また、幼少期のマイケルを演じた子役のジュリアーノ・クルー・ヴァルディの歌とダンスも素晴らしく、

彼が「天賦の才能」を世界に見出されていく冒頭の流れから、一気に物語へと引き込まれました。

 

描かれた「家族の呪縛」と父ジョセフの複雑な描写

物語の大きな軸となっているのが、ジャクソン家の家族の物語、とりわけ父ジョセフ・ジャクソンとの確執です。

コールマン・ドミンゴが演じる父ジョセフは、冷徹で、子供たちを容赦なく追い詰める厳格な父親として描かれています。

彼がもたらすプレッシャーや暴力は、幼いマイケルの心に深いトラウマを植え付け、後の彼の人生に巨大な影を落とすことになります。

ステージ上で何万人もの観客を熱狂させているスーパースターが、楽屋に戻ると父親の存在に怯え、孤独に震えている。

その対比があまりにも切なく、胸が締め付けられるようでした。

しかし、この映画の深みは、父親を単なる「絶対悪のモンスター」として描き捨てなかった点にあります。

監督のこだわりでもあるようですが、ジョセフという男が

「この過酷な格差社会の中で、黒人家庭として生き残り、家族を守り、勝者になるためにはこれしかなかった」

という、彼なりの狂気じみた責任感やハングリー精神も滲ませているのです。

劇中でリフレインする「お前は誰にも理解されない。私はお前を理解している」という父親の言葉は、マイケルにとって呪いであると同時に、

彼を突き動かす原動力でもあったという、非常に複雑な人間関係のグラデーションが見事に表現されていました。

 

「聖人」としてのマイケルと、物議を醸す「描かれなかった部分」

今回の映画を観て、おそらく多くの観客や批評家の間で意見が分かれるのが、マイケルのスキャンダルや晩年のトラブルに対するアプローチでしょう。

作中でのマイケルは、どこまでもピュアで、本と動物を愛し、子どもたちのように純粋な心を持った「善人」として徹底的に描かれています。

彼がなぜトレードマークのサングラスをかけるのか(動揺や視線を隠すため)、なぜ光る手袋をつけるのか(皮膚の病気による斑点を隠すため)といった、彼のパーソナルな苦悩にも光が当てられており、

生前のゴシップ報道によって歪められていた彼の「本当の素顔」を知るという意味では、非常に救いのある温かい描き方になっています。

一方で、本作はマイケルの遺産管理団体(エステート)の全面的な承認と協力を得て製作されているため、

彼の生涯における「最も濃い闇」である児童性的虐待疑惑などの深刻なスキャンダルについては、

深く踏み込まずにかなり慎重に、あるいは綺麗にスルーされている印象は否めません。

物語も彼のキャリアの特定の黄金期(1988年の『Bad World Tour』ロンドン公演など)を中心に構成されており、

ラストには「His Story Continues(彼の物語は続く)」といったニュアンスのメッセージが残されます。

これを「マイケルの芸術性とピュアな魂を称えるための正しい選択」と捉えるか、

「都合の悪い部分を覆い隠したプロパガンダ的なエンタメ」と捉えるかで、映画の評価はガラリと変わるはずです。

一人の人間としてのドロドロとした完全なリアリティや真相究明を期待して観に行くと、

「綺麗にまとめすぎでは?」と物足りなさを感じるかもしれません。

 

最後に:今、私たちがこの映画を観るべき理由

色々な議論を巻き起こす作品であることは間違いありませんが、それでも私は「全人類が映画館の大スクリーンで観るべき傑作」だと確信しています。

マイケル・ジャクソンという人は、肌の色や人種、国境、あらゆる壁を音楽とダンスの力だけで超えようとした人でした。

「歌とダンスで世界を照らしたい、世界を癒したい」

という彼の強烈な信念が、この映画そのものの圧倒的な熱量となって、150分を超える上映時間の中でこれでもかと体現されています。

リアルタイムで彼を追いかけ、東京ドームのツアーに熱狂した世代にとっては、あの頃の自分の青春や記憶が鮮烈にバイブレーションする最高のノスタルジーになるでしょう。

そして、彼が亡くなった後に生まれた若い世代にとっては、ネットの短い動画クリップだけでは分からない

「マイケル・ジャクソンという人類史に残る熱狂がいかにして生まれたのか」

を五感で体験できる、最高の入門書になるはずです。

綺麗に整えられた伝記というよりは、マイケルの魂の輝きをダイレクトに浴びるための、壮大な「音楽のモニュメント」。

見終わった後、絶対に彼のアルバムを最初から聴き直したくなりますよ!

ぜひ、音響環境の素晴らしい劇場を選んで、その真剣勝負を目撃してきてください。

以上、ご参考になれば幸いです。

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